コラム


沖縄空手道無想会の会長である、新垣清最高師範の2010年10月のコラムです。
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沖縄空手道

無 想 会



四名の受講者

  

  おかげさまで、今日の金曜日に「日本人空手家特別講習」が無事終了しました。
  今回は札幌同好会から小平祐亮代表、大山祐哉副代表、大山英晃氏の三名、そしてカルフォルニア州から野田幸彦氏の計四名が参加してくれました。

  もう一人ラスベガスから来る予定だったのですが、手術直後ということで、今回はパスです。この方が、11月の講習会に参加してくれたら良いなと思っています。

  四名とも仕事を持った社会人で、中には家庭を持って奥様やお子さんがいる方もいます。わたくしは、それらの方々が一週間の講習を受けることが経済的、時間的、かつ個人的に、いかに多くの犠牲を払ってユタ州の本部道場まで来てくれたのかを承知している心算です。

  それらの受講者にとって、一分一秒を無駄にすることは出来ません。
  さらに教授するこちら側も、出来るだけ多くのことを教えたいという気持ちでいます。
  そのために朝の10時から夜の7時半まで、途中で昼食などの休憩を取りながらも、実質6,7時間の講習となりました。

  結論から言えば、皆良く堪えてくれたと思います。

  わたしはチャランポランな人間ですが、こと空手に関しては妥協しません。
  限られた時間内で出来るだけ多くの知識を得て、それを肉体で示すことが出来るかが、彼ら四名の今後の空手の修行の重要な指針になります。そのために難しいこと、厳しいこともビシビシ言います。そして、難しいことも、ドンドンさせます。

  彼らは一週間の間、異国の地、あるいは他州に来たというのに、観光などもマルでせず朝起きてから、夜疲労で眠りにつくまで「空手」、「カラテ」、そして「からて」の毎日でした。

  その真摯な態度には、教えているわたしも頭が下がる思いです。それはわたしだけでは無く、無想会空手の本部道場で彼らと接したすべての生徒が感じたことでもあります。

  彼らの示してくれた熱意と態度は、今後とも長きに渡って本部の生徒に非常に良い影響を与えてくれると思っています。

  「異国に住む人間は、誰でも愛国者になる」、という言葉があります。
  でも彼らの空手に対する真摯な姿勢を見て「やっぱり、日本人は凄いですね」と、アメリカ人の生徒が漏らした感想は、指導する立場の人間としてだけでは無く、一人の日本人として「ジーンッ!」と来るものがあります。
  このような思いをさせてくれた、四名の日本人空手家に心から感謝します。

  技術的には、まだまだ教え足りないものだらけです。でも、受講した四名がこのまま初心を忘れずに精進していけば、個々の才能の最大限の高嶺に行き着くものだと信じています。

  さて、来年の春にはカナダの生徒の一団が、一週間の講習(特訓)を受けに来ます。今度は彼らが、「カナダ人は凄い」と本部の生徒を唸らせることになるかと思います。さらにカルフォルニア、札幌、またカナダの地でのセミナーの予定があります。

  この日本人空手家講習会の成功に酔う事無く、心身を引き締めて次の目標を達成していこうと思っています。




  2010年10月1日
  



手の内



  四名の日本人空手家を対象にした講習会が、先週無事に終わりました。
  いま、札幌同好会の小平代表と大山副代表はワークショップのレポート書きの真っ最中だと思います。今回のワークショップに間に合わせて、小平氏は大枚を叩いて高価なカメラを購入し、写真も千枚ほど撮っています。ありがたいことです。

  原稿の件、頑張ってくれるものだと思っています。
  
  さて、この二人には昨年来た時に、「もう少し、身体を大きくしていてくれ」とお願いしていました。
  ご存知のように、空手は武術と呼ばれるように闘いの技術です。でもそれは頑強な身体があってこそ、長時間の厳しい修行ができ、かつ技に鋭さが生まれてくるものなのです。

  それを、「武力(ブジカラ)」と言います。ブジカラの無い人間の技は、効きません。これは技で、あるいは術でカバーできる問題では無いのです。
  
  そのために無想会空手の修行には、パワー・トレーニングは欠かせません。
  去年の彼らには、そのブジカラの必要性があったのです。

  そして今年の彼らの姿を見て、眼を見張る思いがしました。胸や腕に厚みがつき、見違えるほどです。
  二人で、パワー・リフティングを始めたと言います。道理で道場で懸垂をさせたら、小平代表などは自分の身体を腹の辺りまで上げることが出来、回数も20回ほどを楽々とこなしていました。
  
  さて講習会が終わり、土日は色々と講習会のまとめや雑用に追われて動き回っていました。翌日の月曜日は身体がだるいというか、「ホッ!」としてしまい虚脱感に近い感覚で、正午のクラスを教えて、昼食後に道場のオフィスで二時間ほど前後不覚でグースカ・グースカ昼寝をしていました。

  翌日の木曜日に、夜の成人部で棒の指導をしました。
  その時に棒を二、三回振って見せたのですが、その時に始めて棒が手の内で浮く感覚が生じました。浮くというよりは、何かヒヨコが手の中に居るという感じです。そして、可愛いヒヨコですから握りつぶしてはいけません。いや! 握らないからこそ、ヒヨコの感覚が生まれてくるのです。

  この感覚は、わたくしは素手の形をやっている時は度々あります。でも、棒を振っている時に生じたのは始めてです。さらに、道具(棒)を使ってやるので、素手よりも感覚がディフォルメ化します。自分でも呆気に取られると同時に、希望が湧いてきました。

  一応、わたくしはこれでも武道家の端くれなので、ナイファンチの修行から一度正しい感覚を掴めば、後は数稽古だとの自分の修行論は確立していました。しかし、棒を幾ら自分で早く・速く振っても、それは力任せに振っている段階から抜け出せなかったのです。
  しかし今回のこの僥倖とも呼べる出来事で、自分の棒の修行に希望が出てきました。

  思うに日本人の四名と、一日六時間以上の稽古を一週間通して行なったことが影響していると思います (誰だ! 「お前は四名が一所懸命に練習していた時に、突っ立て号令かけていただけじゃないか」と、言うのは?)。

  わたし個人として、この歳になってもまだ身体が学んでくれるということは嬉しいことですし、励みにもなります。
  棒も、わたしは一応は形という地図は沖縄で与えられています。今度は、この身体感覚というコンパスを与えられたので、あとは自分で地道に歩んでいくだけです。

  希望的観測ですが、わたしのような者でも、どうにかなるでしょう(?)。




  2010年10月9日


自由

  
  10月1日に無事終了しました、弊会の「第二回・日本人講習会」のレポートが月刊「空手道」に掲載がOKになりました。北海道同好会の小平代表、大山副代表の努力の結果です。アリガトウ。

  さて10-15年もかかって、悪戦苦闘していた「沖縄空手道の歴史(仮題)」の原稿が一応の完成をみました。
  いま現在、致命的な間違いが無いかなどを検証して貰っています。

  原稿を書き終わって一読した後は、「(10年、15年苦労して)たった、これだけか?」という、虚脱感にも似た感覚が湧いてくるのみでした。
  自分のもっている全てを使って、延々と書いている間には途中で立ち止まったり、書けなくなったり、書くのが嫌になったりなどの連続でした。自分を騙し騙し一応の完成をみたのは、一重に皆さまのご声援のお陰でした。ありがたい事だと思っています。

  この原稿が出版できるのどうか、皆目検討がつきません。
  まず自分では全力を尽くしたつもりですが、レベルとしてこれが出版に値する原稿なのかどうか? たとえレベルは一応はクリアーしているとしても、出版不況という世相の中で採算があうと思って出版してくれる会社があるのか? などなど、これから頭を悩ますことになると思います。

  不況の所為で、ここユタ州のわたくしの道場も生徒が増えず、減るのみで四苦八苦しています。わたくしの道場の周りでも閉鎖になった道場が、二、三箇所あります。
  これは空手で生計を立てているわたしだけでは無く、何処を向いても、誰に聞いても多くのビジネスが大変なようです。

  その中で原稿を書き上げたということは、現状認識に欠けるダメな経営者でもあります。

  私事になりますが、この原稿を書き上げるためと、ナイファンチの原理・原則を習得するために、この15年は自分の人生賭けてきました。
  決して誇張では無く、それを成し遂げるまでは石に齧り付いて、草の根を齧っても生きていくという思いでやってきました。それが終わらない限り、死んでも死に切れないという執念はありました。
  それは修行の楽しさを知ったと同時に、人生の苦しさをも思い知らされた時期です。

  それが、やっと今終わったなという気持ちです。
  脱稿直後の虚脱感の後に、一日たって「やっと、自由になれた」という思いが、沸々と湧いてきました。

  この原稿を書き上げたからと言って、わたしの周りの風景も、経済的な厳しさも、そしてわたしの置かれている境遇も何ら変わりはありません。
  でも、自分の得たこの「自由」の感覚を大切にしながら、これからの人生に向かっていこうと思っています。


  2010年10月15日  
 

「同志の集い」結成要旨


  弊会では、わたくしが習得した武術としての沖縄空手の技術を、日本語、英語、スペイン語などで書籍化して世界中に普及を試みています。

  それに加えて各地でのセミナー、本部道場でのワークショップによって技術の伝播を果たしています。
  来年には日本国内では始めてになります、「新垣清最高師範・直伝講習会」である"セミナーinJapan'11 が開催される予定です。
  これらの普及活動によって、おかげさまで各地で除々に同好会などが設立されています。

  今後はこれらの活動に加えて、DVDなどの製作によって更なる普及を目指しています。

  しかし無想会空手の指導の要望が数多くあり、無想会の「支部」、「同好会」などの体系立った指導の組織化がまだまだ追いつきません。

  今回、それを組織化を発展させるために日本国内外において、沖縄空手道無想会「同志の集い」を発足させることになりました。

  これは日本国内外に居られる無想会空手道に興味はあるが、周りに指導を受ける場所が無い。または無想会空手道に興味があり、同好会を設立したいのだが周りに仲間が居ない。あるいは同好の人々が何処にいるのか分からない、などの人々の思いを結束させる横のネットワークを構築するシステムです。

  この「同志の集い」に参加・登録することで、参加者と同じ地域(州・県・市町村など)に同志の人間が存在することを確認できます。さらに、その同志の人間たちと交流することによって、同好会を開設することも可能になります。

  弊会のホームページで参加者の名前(イニシャルなどの匿名可)、地域を掲載して、他の同志の方々に呼びかけるシステムです。プライバシー尊重のために、当事者同士で直接連絡を取る、あるいは本部が仲介にあたるなどのいずれの方法も可能です。

  登録された方は、今後日本各地で開催する予定のセミナー、本部道場でのワークショップなどへの、参加費割引きなどの同好会の会員と同じ特典を得ることとなります。その他の事柄も、同好会と同じ規定になります・

  「同志の集い」への登録は、年会費がUS$100(米百ドル)です。申し込み書に、必要事項を書き込まれてお申し込みください。
  本ホームページの、PayPalからクレジットカードでお支払いできます。あるいは今回からカードをお持ちで無い方へ、本会の銀行口座へ直接振り込み(メールでお尋ねください)が出来るようにも手配しましたし、小切手でも可能です。

  登録なされる方の名前、年齢、住所など情報は、本部が管理し決して部外へ流失することはありません。さらに、この情報を他の目的に使用することもありません。
  
  要旨にご賛成されて参加されたい方、または詳細をお知りになりたい方は、「お問い合わせ」からメールでご一報ください。




  2010年10月23日

原稿

  
  10年以上もかかって(一応は)書き終えた「空手の歴史(仮題)」を、いま検討してもらっています。

  お送りした方々には原稿の内容の検討以外にも、この原稿が本として出す価値があるのか? あるいはもし本として出すなら、どのような方法が良いのか? などなど自分個人では到底判断不能の事柄などを検討して欲しいということで、原稿をお送りしたのです。でも突然と、ダラダラと長いだけの原稿が送られてきて、皆さんへキヘキなさっていると思います。御免なさい!!

  この原稿は仮題として「空手の歴史」となっていますが、それ以外に琉球王国時代の軍事、武の歴史を記したつもりです。

  琉球王国時代の武術としての空手の歴史ですので、明治に移入された新興・那覇手などの流れはその初期の頃の事柄しか記していません。かつ古武道などの記述では筆者(わたしのことです)が未熟なために、原稿に筆者の疑問を記すという前代未聞というか、筆者(わたしのことです)の武術的な浅はかさ丸出しの原稿です。

  でもそろそろこの辺りで沖縄空手本来の心身思想を世に問い、世界的な規模においてその卓越した心身思想を説明しておかなければ、日進月歩の西洋心身文化の進歩の後塵を拝することになるのです。

  すなわち西洋の心身文化思想の理論で、空手の心身思想を説明する。あるいは西洋心身文化の一つであるスポーツの理論で、空手の心身操作を説明・理解するという、わたしが一番忌避したい「後出しジャンケン」のようなカタチでのみで、空手の心身思想・操作を理解するということになってしまう危惧があるのです。

  正直に記しますが、これはわたくしが沖縄出身者でありかつ、海外に住む人間であるということが大きく影響していると思います。海外に住む人間は誰しも「愛国者」になるものですし、海外に住む沖縄の人間は誰しも「愛郷者」になるものなのでしょう。

  空手の実践者として確信していますが、わたしは古伝の沖縄空手(首里手)の心身思想・操作は、世界の最高峰にあると思っています。その極みは西洋の心身思想であるスポーツが、まだ到達できない域まで達しているものです。

  しかしこの究極の思想も、西洋心身思想の進歩によって後二十年もすれば、空手の心身思想はすべて解明されてしまう運命にあります。
  その前に日本人、そして沖縄人の手のよって空手の心身思想・操作を解明することがどうしても必要なのです。もしそれが出来なければ、われわれ空手の思想はすべて「後出しジャンケン」というカタチ、あるいは西洋心身思想の劣化コピー、または亜流としての位置しか世界は与えてくれません。

  わたくしは一人の男として、いや、一人の人間として他人の後塵を拝する、あるいはぶっちゃけて言えば、「後出しジャンケン」の思想で世を渡ることほど恥ずべきものは無いと思っています。
  自らの中に確固とした思想を保持すること無くして生きていくならば、冬の日に暖かい日差しの差す縁側で猫を抱いて人生を送っていくような人間の方が、よっぽど潔いとも思っています(それも一つの、確固とした思想だと思います)。
  そして、そのような生き方にも憧れてもいます。

  人の一生は「有為に生きる」か、あるいは「無為に徹する」かの二者選択だと思っています。そして、究極的にはこの二者は同じことなのでしょう・・・。

  でも哀しいことに、わたくしような肝の据わって居ない人間は、「無為に徹する」だけの覚悟はありません。

  わたくしには自分の技術が達した境地、自分の経験から生れた思い、それを世に問うことこそが人生だという思いがあります。ひとたび己を世に問うつもりならば、それは自分の思想でなければ為らないのです。この時に他人の思想を小手先だけで拝借したならば、それは自分の人生自身が借り物であったという証でしかありません。

  才能に乏しく、かつ稀代の怠け者のわたくしのような人間でも、「自分の人生が借り物であるという生き方だけは、イヤだな」という思いがあります。

  ナイファンチと言う首里手の形に、自分の人生を賭けたのも以上のような思いから出た行為です。わたくしはナイファンチと言う形がクダラナイ形であったなら、それを信じて人生の一時を賭けた自分自身がクダラナイ人間であったのだ、ということで人生を終わろうという覚悟はありました。

  そして一応の完成をみた「空手の歴史(仮題)」の原稿も、古伝の沖縄空手(首里手)の心身思想は世界最高峰にあるという思いと同時に、その歴史を沖縄人の一人であるわたくしが明らかにしなければならないという、独りよがりの使命感で書き上げたものです。

  なぜなら世界最高峰にある心身思想・操作である、武術としての古伝の沖縄空手(首里手)の歴史を書くためには、その武術としての技術の片鱗を理解して於かなければ不可能だからです。わたくしは首里手の思想の根源である、ナイファンチの形の片鱗だけは理解できたという思いがあります(笑ってください)。

  その思いを心の拠り所として、この原稿を書き上げた次第です。

  さらに記せば、薩摩藩による琉球侵攻を許した後の琉球王国のあり方は、第二次世界大戦で敗北した日本国の現状にオーバーラップする部分が多多あります。ですから本原稿では素手の「空手」の事柄だけでは無く、琉球王国における軍事面においても記しました。

  それらの事は政治的な面が多すぎるので、わたくしの個人的なブログで記していきたいと思っています。


   2010年10月30日